日に日に変わる世界の状況と、どんどん感染者が増える(とされている)伝染病。

でももしかしたらこの伝染病は、長い目で見たらそんなに怖いものではないのかもしれません。

私はそんなことよりも、この騒動にまぎれて5Gが何の問題もなく日本国内で使われるようになったこと、そして3密は怖いという概念が一般常識になっていくことのほうがずっと大きなことに感じます。

人を集客して販売したり営業するという、ネット以外の一般経済の大前提が通用しなくなるからです。

☆ 私が感じること

一つはこれから経済社会は見たこともないような大変な状況を経て、豊かさの定義が変わっていくように思います。

このままいけば世界中が経済恐慌ではなく、経済崩壊を考えなくてはならないかもしれません。

そうなるとどうなるのだろう・・

お金があっても食料がないとか、物が手にはいらないということにもなりそうです。

そしてそのうちに、人と人同士の、お金を介入しない交換がどんどん発展していくと思います。

例えば2時間小さな子供を預かってあげる。かわりに焼き立てのパンをもらった。

おじいさんとおばあさんの髪の毛をカットしてあげる。かわりに採れたての野菜や果物をもらって帰ってきた。

夕方、子供たちに勉強を教えてあげる。かわりに美味しいカレーの夕飯をごちそうになった。

ちょっと考えてみたのですが、この人は一日のうちに子供の世話とお爺さんとおばあさんのヘアカットと子供の勉強を教えてあげて、パンと野菜と果物と夜ご飯が手に入りました。

こんなふうな互助会システムと現代のインターネット社会が共存していくとどうなるだろう・・。。

私なりに想像をどんどんふくらませてみました。

もし、お金がなくても暮らせるような村やコミュニティがあったらどうなるのかな・・

これはもう、好きなことと得意なことに絞って追及していくのが一番だ♪ということです。

ちょっと考えてみたのです。
勉強は不得意で昔から大嫌い。でも、かけっこだけは得意なんだという男の子がいるとします。
この子は「かけっこ教室」の先生として活躍できます。

実際に私が昔働いていた住宅展示場では、様々なイベントが行われていて集客していましたが、「かけっこ教室」はいつも満員でキャンセル待ちの子も大勢いました。

そんなふうに、何の価値もないよ・・なんて自分で思ってしまっていることこそ、実は他の人には持っていないものだったりします。

こうなると好きなことやなんとなく得意なことに絞って学んでいくことが、自分の楽しみだけでなく、誰かの役に立つという幸せにもつながると思います。

今までとの最も大きな違いは、、
その最終目標が、それをすることで誰かに喜ばれることこそが価値であり、お金ではないということです。

編み物ができる。欲しい人に作ってあげることができる。教えてあげることもできる。みんなに喜ばれる。
ケーキが焼ける。食べたい人に作ってあげることができる。教えてあげることもできる。みんなに喜ばれる。
かけっこが速い。苦手な子に教えてあげることができる。みんなに喜ばれる。
勉強ができる。わからない子に教えてあげることができる。みんなに喜ばれる。
綺麗好き。掃除がうまくできない人に掃除してあげることができる。みんなに喜ばれる。
何もできないけど、楽しいおしゃべりができる。それだけでみんなに喜ばれる。

価値がお金ではなく皆に喜んでもらえる力という尺度になったら、貨幣経済がなくても充分に成り立っていく気がします。

そんな異星のようなしくみを夢に秘めて、最初の第一歩を踏み出そうとしているのが2020年なのだと思います。

あと少しで切り替わっていきそうなので、時期がきたらこれまでの価値観を捨て去って、軽やかに柔軟に対応していけたらいいなと思います。

そしてお金に価値のあるうちに、お金がなくても生きていける準備にお金を使うってことも大切なのかもしれないなぁ・・

 

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