レターセットを集めるのが子供のころからの趣味でした。

私が生まれる前から父は海外で働いていて、帰国は一年や一年半に一度、それも数週間で戻ってしまうため寂しかった父は考えました。

どうにかして娘から手紙をもらうことができないだろうか・・

そしてこの子が1歳半を過ぎたら私に文字を覚えさせて欲しいと厳粛な顔で母に伝えました。
(なんてスパルタなんだ・・酷すぎる(^^;))

母は病気ばかりしていた私に山ほど絵本を買ってくれ、読み聞かせてくれ、そして文字を教えてくれたのでした。

結果どうなったかというと私はめちゃめちゃ本が好きになってしまい、さらに手紙が大好きな子供になってしまったのです。

そしてオニオンペーパー(航空便は重さで料金が違ってくるので、薄い航空便専用の便箋に書きます)に2歳の頃から父に手紙を書きだしました。

意味不明な象形文字風のものから、色鉛筆の絵と合体した手紙は、今見ると斬新なデザインのようです。

そんなことがあり、私は便せんや封筒を2歳の頃から集めるようになってしまいました。

少し大きくなると、色々なレターセットをこれはあの人、これはあの子・・と思いながらセットして引き出しに入れてしまっていくようになりました。

一度使ったら、二度は使わないようにするのも私のこだわり。
3歳位から誰かをワクワクさせるのが大好きでした。

その趣味は小学生・中学生・大学生・社会人・・・そして今まで続いています。(^^;)

そして一時期、私の興味が切手にも影響し始めたことがありました。
手紙用の切手や記念切手を買う時に気がついてしまった、素敵な切手・・。
レターセットだけでなく切手まで収集し始めた私に父は焦ったそうです。

便箋や封筒なら買ってあげられるけど、何万も何十万もするような切手を集めだしてしまったら、、。

せがまれたらどうしようと内心気が気ではなかったようで、切手ではなく素敵な便せんや封筒を沢山買ってきてくれ、こっちのほうがいいよ~・・と誘導していたというのです。

先日その話を聞いて私もびっくりしましたが、文通してほしいけれど高価な切手コレクターになったら困るという、なんとも虫のいい父の考えがあったのでした。

 

それにしても今の時代、紙に手紙を書いて糊で封をして、住所を書いて切手を貼って、ポストまで行って投函する。。ということをする人はどれくらいいるでしょう・・?

せいぜい贈り物をするときに書くmessagecardくらいではないでしょうか。

贈り物をもらった時も電話かメールで一報をして、後ほどゆっくりお手紙を書こう、なんて思っていてすっかり機会を逸してしまったり・・

便利になって人の手間が減ったのに、どうしてこんなに時間がないんだろう?

情報量が多いのでそれに時間がとられてしまい、考え事をするとか、それをまとめてゆっくりお手紙を書くという時間がなかなか捻出できなくなってしまったんですね。

そこまでして手紙を書かなくても、メールで送るから大丈夫。

そんな人も多いと思うけれど、手紙ってその人がこの世から去った後、何よりもここに生きた証を残してくれる、これ以上はない物だったりもします。

毎日忙しい中30分の時間を作って書いてくれたんだろうな、、隣ではお鍋が火にかかっているのかな・・と感じる文字。

仕事で頭の回転が速くなっている感じのひらめきの文字。
のんびり楽しんで生活している文字・・。

その時の気持ちも波動も全部一緒に一枚の紙の上で留められ、封印された手紙。

それから何十年してもその日のその瞬間で時は閉じ込められ、手の上でひろげた時から音も香りも情景も、何もかもが完璧な再現の時空を繰り広げます。

幸せな手紙は何十回読んでも、読むたびに永遠の楽しさや嬉しさを与えてくれるものです。

だから私は楽しい手紙、後で読んでもらって元気で幸せになってもらえる手紙しか書かないというきまりを自分に作っています。

この世の最後に書くのは遺書になると思うけど、それはめちゃめちゃ楽しく書くことを考えていて「なんでこれが遺書なんだよ~~!!」と爆笑される伝説の遺書、毎日読める遺書を書きたいと今から考えています。

そういえばスチュワーデスの友人は、いつでもバッグの中にレターセットと小さな名刺サイズのカード、そして折り紙を2・3枚持ち歩いていました。

彼女は色々な時にすぐにひとことmessageをカードに書いてお礼したり、可愛い折り紙のプレゼントを作って渡してあげることを習慣にしていて、すごく素敵だな・・と思いました。

昨日銀座の伊東屋に紙の買い出しに行ったら、沢山のレターセットの上にお手紙の見本が一杯貼ってありました。

 

こんなふうにお手紙を書いてみたらどうですか・・?秋の夜長にいかがですか・・?
というさりげなくて粋なディスプレイでした。

 

 

 

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