今日、たまたま見た朝の番組でチャットGPTのことが話題になっていました。
チャットGPIとはストーリーの創作ができるAIツールで、使用料金は0円。
私もぜひ試してみたいと思っていたのですが、TVの特集に先を越されてしまいました。(^^;)

カレーの作り方を〇〇ふうに書いて と指示を出すと30秒もしないで書き上げるという内容はとても面白く、これは人によってはたやすく書けるかもしれないけれど、しかしどんな人でも絶対に30秒では書けないものでした。

アメリカでは90%の子が宿題にこれを使ったことがあるらしく、学校で禁止されたりしているようです。
また告知されていないだけで、今出ている出版物にもこれを一部、または全部使っているものもかなりの数あるようです。

こうして数字やデーター関係のことだけでなく、創造性の方面にもAIにはかなわなくなってきていますが、最終的に何が私達人間とAIの違いになるだろうと考えました。

その人の持っている味、というのが人にはあります。
それは文章でも創作物でも料理でもそうで、その人しか出せないものです。

でもそのクセのようなものすらも、AIは真似ることができるかもしれません。

例えばクマのぬいぐるみを作ったとしましょう。

ある作家さんはとても可愛いクマさんを作るけれど、きっちり縫うというよりどこか針目がばらばらでちょっとぶかっこうで、手作り感が否めない。
でもその素人っぽい優しさが味となっていて、かえって人気になっていたとしましょう。

AIはきっちりと正確にクマのぬいぐるみを作れるけれど、その次にその「抜け感」のような
ちょっと下手な感じを真似するようになるかもしれません。

そうしたら私達は人が手で作ったものと、AIが作ったものとの見分けがつかなくなってしまうのかな・・と考えてみました。

いや、きっとそんなことはないな・・と私は感じています。

たとえばですが、AIが作ったおにぎりと私の作ったおにぎりは味が違うと思うからです。

私はおにぎりほど、人の味が出るものはないと思っています。

私は若いころに母を失くしましたが、亡くなって3か月位したとき、母の作ったおにぎりを食べた夢を見ました。

私の母は夜余ったご飯を捨てずに、よくおにぎりにしておいてくれました。

どの家庭でも作る何の変哲もないおにぎりで、お塩がまぶしてあって、梅干しとかが入って海苔で巻いてある三角の、本当に普通のものです。

余りご飯で作っておいてくれたおにぎりを、朝何の気なしにパクパクと食べていた私は
母が亡くなってから見たその夢の中でびっくりしました。

朝起きたら、テーブルの上にお皿に乗ったおにぎりがラップをかけておいてあったのです。

お母さん、🍙作っておいてくれたんだ!
死んでしまったからもう食べられないと思ってたけど、また食べられるんだ!と思って手を伸ばしたらその瞬間に目が覚めてしまったのです。

ぱっと目が覚めてから、しばらく布団の中で呆然としてしまいました。

夢だった・・そう思ってから、涙がとまらなくなってしまいました。

私は余りご飯で作ってくれた、あの母のおにぎりは二度と食べられないんだと思うと、淋しくてたまりませんでした。

その頃私は結婚していたので、ある日お姑さんにそのことを話したのです。

そうしたら、きっとお姑さんは私を気の毒に思ってくれたのでしょう、ある時私におにぎりを作っておいてくれたのです。

私はありがたく思って、作ってもらったおにぎりをいただきました。

お姑さんのおにぎりだって、とても美味しいものだったはずです。
でもその時の私は心の中で(全然違う!こんなんじゃない!)と思いました。

こんな味じゃない、全然お母さんの作ったおにぎりと違う。

私も若かったのでしょんぼりとしてしまい、顔に出てしまったようです。
「美味しくない?」と聞かれ
「いえ、美味しいです」と答えて、頑張って2つ食べた記憶があります。

今から思えば、もう他界してしまったお姑さんも良かれと思っておにぎりを作ってくれたのに、母を亡くしたばかりの私には、かえって淋しい出来事となってしまったのでした。

でもその時につくづくと感じたのは、ただ塩をつけてむすんだだけの三角のおにぎりだけど、人の手が変わるとこんなに味が違うんだ・・ということでした。

よくぬか床もそうで、ぬかをかき混ぜる人の手が変わると、ぬか漬けの味が全く変わってしまうと言われています。

私は🍙には氣がこもるのだと感じます。

愛情も気持ちも、知らないうちに沢山こもっているのです。

その人の手で結ぶおにぎりは、その人だけのもの。
どんなに上手にスピーディに、AIや機械が作ったとしても、この手のひらから生み出される味はつけられない。

だから思いを込めて作ったものは、人であれAIであれ、誰にも真似ができない。

私はものづくりをする作家だけれど、ものづくりをしていなくてもどんな人でも
そういう意味では世界で一つだけのおにぎりをその手から作れるし

そこに気づいてさえいれば、これから先も何も恐れることはないと思います。

 

 

おすすめの記事