先日ツイッターで、”「乾杯」は完敗と同じ発声で同じ周波数。意味は完全に負けることなのに、日本人は勝利の場でも完敗している。日本のご先祖様は弥栄(いやさか)と言っていた。この言霊のパワーは強力すぎる・・弥栄~~!!” というのを読みました。

う~ん・・さすがに「いやさか」とは気がつきませんでした。
調べてみると弥栄は「一層栄える」という意味で、万歳とも近く、おめでたい意味で使われるとあります。

確かに喜びに溢れ勝利の美酒を飲みながら、完敗・・とおなじ言葉を口から出すなんて、なんだか・・と思ってしまいますね。

弥栄は、私も今まで使ったことがありませんが、なるべく意識して使えるようになりたいなと思いました。

言葉や漢字の持つパワーで私が以前から一番気になっているのは、「気」という漢字です。
小学校一年生で習う漢字で、この言葉は私達の人生で何億回発していることでしょう。

この漢字は1940年代までは「氣」という字を使用していました。
第二次大戦後、日本はGHQによって漢字の見直しが行われ、その時から「氣」は「気」へと変わっていきました。

それにしても何故、氣は気になったのでしょう?
画数にすればたった4画減っただけ・・でも文字から受ける印象や波動は全く違います。

氣を使う言葉は「元氣(気)」「病氣(気)」「氣(気)持ち」「氣力(気)」「氣合い(気)」
等など沢山ありますが、これを見てわかるのは、氣はエネルギーを現しているということです。

「氣」と「気」の違いは、中に入っている文字が「米」か「〆」かということです。

米は末広がりで八方に広がることを意味しています。

エネルギーのあるべき姿は全身から放出されること。
そう考えると、本来のエネルギーが発生されるのはこの「氣」という形が、とてもふさわしいと感じます。

戦後の新漢字となった「気」はエネルギーを〆(しめる)ということになり、エネルギーを絶つ、押さえ込む、ということになります。
また、氣の中に入っている「米」は日本人の主食で、まさにエネルギーの元でした。
お米を食べると元氣になる。

私は娘が小学校の時のことを思い出してしまいます。
毎週土曜日、歩いて5・6分のところにある習字教室に娘は通っていました。
大きくて元氣いっぱいの字を書く娘は、もしあのまま伸びてくれたら書道家になってくれたかも・・?というくらい
力強く男の子のように勢いのある、素敵な字を書いていました。

ある日先生にお月謝を持って行くと、先生に言われました。

「Yちゃんは絶対に朝はご飯を食べさせてくださいね!パンだと全く字が違います!!」
「そんなに違いますか・・?」
「全く!!別人みたいにダメになっちゃいます!!」

私はパンでもご飯でも、ちゃんと食べて行けば大丈夫だと思っていたので本当に驚きました。
そしてそれからは、必ず娘には朝はお米のご飯を食べさせるようになりました。

日本には言霊というものがあり、言葉には魂や氣持ちが宿っていると言われています。

氣は常に全身の中を流れていて、外に発散されているものであり、自分の中に閉じ込めようとしたり、澱ませると調子も悪くなってしまいます。

私達の感覚は頭での理解を超えて入ってくるということを考えると、長い人生の間、ずっと「気」という字を使うことで、知らず知らずにエネルギーを委縮させてしまっていることはないでしょうか。

できるだけ「氣」という字を使って、自分だけでなく友達や周りの人達にも、素晴らしい氣を届けていきたいものですね。

 

 

 

 

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