人の生涯は長さなのだろうか?最近そんなふうに思うことがあります。

やみくもに長生きすることより、どのような想いで生き、どのような経験をできたか、充実していたか・・ということのほうが私には興味があります。

やりたいことを叶えるのも自分の状況だけでなく時の流れも大きく関係してくるので、例えば長年自分のbarや居酒屋さんを出すことを夢見て準備や研鑽を重ねてきた人は、残念ながらこれからの時代は開業するには適さないでしょう。

またCAの仕事を子供の頃から夢見て、頑張って努力を続けてきた人もいるでしょう。

そんなふうに断腸の思いで夢の方向転換を余儀なくされることもありますが、どんな時期であっても「どんなふうに在るか」という自分自身の在り方・生き方は自由な選択で選べるのです。

本家のおじさんはワクチンを打ったそうです。

そして2回打った後、父にも打ったか?とお誘いの電話をしてきたそうです。

先日父の病院に付き添いで行った時、電車の中でそれを聞いて返す言葉が見つかりませんでした。

「おととい本家のおじさんから電話があってね、僕はワクチンを打ったか?って聞くんだ。
娘にも止められているし、副作用も怖いし、ただデルタ株が出てきて怖いからやっぱり打つほうがいいかなと思っていることを話したら、彼は打ったというんだ。
私にも本をもらったりして相当悩んだみたいだけど、やっちゃん(息子)がその本の医者(内海医師)は知ってる、評判の悪い医者だと言っていたと。
そしてやっちゃんがモデルナ製のワクチンを打ったらしくて、平気だったから結局自分もファイザーのを打ったらしいよ。
少しだるくなったくらいで、全然普通にしているようだよ」

おじさんの体験を聞いて安心したらしい父は、あろうことか私に向かって
「打たないの?色々なところに仕事で出かけているんだから、打ったほうがいいのに」と言い、さらに孫娘は打っていないのか?などと聞いてきました。
そして

「宮尾先生(糖尿病や高血圧担当の医者)は打ったほうがいいって言うんだ。だから今日の斎藤先生(癌の先生)にも聞いてみようと思って。」と言いました。

自分の父だから心配もしますが、これが知らない人で何の縁もゆかりもないヒトだったら。。。

80代後半で癌で高血圧で糖尿病で、確かに昔は社会に対して多大な貢献をしたかもしれないけど、今となってはこの世に一石を投じることすらしていない。

私はふっと脳の中が透明になり、父の存在を限りなく遠く感じました。

まるで自分の植木鉢に入っていた土を大きな畑にもどすような気持ちになりました。
手放せということかと思いました。

病院につき、検査、そして診察や注射。
全部の診察が終わり、帰り間際のことです。父は斎藤先生に唐突に質問しました。

「先生、ワクチンですが打ってもいいですか?」
「ワクチンってコロナのですか?」
「はい」

先生は何故?という顔をして

「? まだ打ってなかったんですか」
「はい・・副作用とかいろいろとあると思いまして・・」

先生は私の顔をちらっと見ました。

「打ってもかまいませんよ。治療には何も差しさわりはありません。」

すると父は権威の一言が欲しかったのでしょう。結局自分では決められないのです。

「先生は打ったほうがいいと思われますか?」

自分の父ながらここまで情けない人とは・・と言いたいのですが、私は父が残念ながらこの程度の人だということ、100年前から知っていました。

先生は困った顔をして
「まあ、打たないでかからないのが一番いいんですけどね。でもかかるのが一番よくないとは思うんで、打ってもいいんじゃないですか」
とつまらなそうに言いました。
「こちらとしてはワクチンを打っても治療に差しさわりはありませんので結構ですよ」
そして私の顔を見ました。
(これでよかった?)と先生は思っていることがわかりました。

父は先生のお墨付きをもらったと思ったのでしょう。にこにこして
「そうですか!」と言い次に
「モデルナがいいですか?ファイザーがいいですか?」
と言ったのです。

今まで私のしてきたことは、豚に説法・豚に真珠以外のなんでもなかったな~・・と虚無感に溢れた私の顔をちらっと見ながら

「どっちでもいいですよ。そんなの選べませんからね」
とちょっと怒った顔で先生は言いました。

「わかりました。ありがとうございました」と頭を下げて嬉しそうに診察室を出る父。

私は先生ありがとうね、と思いながら頭を下げました。

「また来ますか?」先生は聞きました。
「そうですね」
(私は先生はそれでいいんですよ、という気持ちで言ったので多分伝わったのだと思います)
「はい、じゃあ次回はMRIを取りますから、少し早めに来てくださいね」

私達はその後ワクチンについては一言も話しをしませんでした。

今月にでも父はワクチンを打つでしょう。

ほどなくして体に不調が出ても、これはワクチンのせいだとは誰も思いません。

本家のおじさんについても考えました。

最初は正直、なんでわざわざ道連れを呼びに来るんだ・・と憤りを感じました。

でも、私も良かれと思って説得に行ったのですから、向こうの子供からすれば私も余計なことをしてくれた・・と思ったのでしょう。

おじさんにしてみれば自分が打って大丈夫だったし、もし父がワクチンを打たないでコロナになったら、その時自分が勧めなかった後悔と、ワクチンを打って早めに死んでしまったとしても(後期高齢で持病はてんこ盛り、真っ先に滅びる対象なのだから)そのほうが親戚の自分としては後悔しないと思ったから父にわざわざ電話をかけてきたのでしょう。

そう思えばおじさんへの怒りも、どうでも良くなってきました。

父に対しても、できることは全部やったと思うので、もう何も後悔はありません。

この狂奏曲はどこに向かうのか・・

自分から健康に手を伸ばして、健康になりたくて死んでいく・・

数年して真実が明るみに出ても、誰ひとり責任なんて取ってくれないし、おわびもしないで消えているでしょう。

50年後の現代社会の教科書には、大惨事(第三次)世界大戦・ワクチン攻撃のことが書かれているでしょう。

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