物づくりをしている時、そこにどんな気持ちを込めるかで作品は全く違ったものになります。
長いこと物づくりをしてきて、一体何万時間私はものに心を入れてきたんだろうと考えることがあるのです。
人形作りのように顔のあるものを作っていらっしゃる方は、そのことを魂の底から熟知されていると思うのですが、心が全て形になって現われてしまいます。
技法はいくらでも(努力や年月は勿論必要ですが)身についてくるものですが、結局はその人の魂そのものが作品として形になってしまうので、実はこれほど怖いものはないし、恥ずかしいものもないのです。
どんなに素晴らしい形のものであっても、私には惹かれないものは多いです。
そう・・私は形だけ美しいものは、それ以上欲しくならないのです。
でも、作家を始めたばかりでとても不格好でも、優しいものがこぼれている作品やオーラのある作品は無性に惹き付けられます。
結局はその人の魂がかたちになっているものなんだ・・と気がついた時、作る量は質には転化されては行くけれど、魂を磨かなければ、魂が美しくなければ、いくら年月を積んだところで美しいものなんてつくれないんだな・・と感じました。
それから、仕事って何なんだろうと、私は作りながらずっと考えるようになりました。
そして何年かして、色々な方の働きぶりで感動して感謝していく中で、仕事の本質は愛なんだ・・と感じるようになりました。
どんな仕事でもそうなんだな・・と思うようになりました。
今、ワクチン・ワクチンと騒いでいるけれど、死なないようによく考えて自分で決めてくださいと言っているけれど、守りたい命や魂って、どんなものなのかなって思うようになりました。
私は残りたいと願っていい魂なのだろうか?と思うようになりました。
どんな仕事でも働けることは素晴らしいことだと思います。
そうはいっても年を取っていくと働けなくなり、生きているだけで精一杯になってしまったら(80過ぎの親を見ているとつくづく感じます)どんなに望んでも、仕事がしたくても、経済活動はできなくなってしまうかもしれません。
でも絵を描くでも写真を撮るでも、何かを作るでも子供達と遊ぶでも、ボランティアで子供に教えるでも、地域の会の手伝いをするでも、あるいは葉っぱや枝を拾って素材集めをするでも、小さなお惣菜を作ってお腹の好いている人に配ってあげるでも、動物を保護してあげることでも、そこにお金のやり取りがなくてもそれが自分一人の満足ではなく、誰かに愛をはたらきかけるものであれば、それは仕事なんだと思います。
創作活動をする人ならば、自分一人の満足になってしまうとそれは少しもったいないから、せめて誰かに販売するとかあげるとか、発表する、表現する、教えてあげると良いと思います。
でもそういうことではなく、ただ自分が楽しければいいと思うのなら、それはどうしても必要な魂なのかな・・。
成長していく魂もあるのなら、終わっていく魂もあってもいいんじゃないかと感じるようになりました。
変化していくことは成長だと思うし、変化できなくて残念ながら終わってしまうものもあるだろうし、せっかく残れても残る意味がない魂だったら、頑張って残るような意味もないだろうと、自分自身が思うからです。
だから、消えていく魂もそれはそれで良いのでしょう・・。
全て自分次第。。
自分が生きている時間に何を味わいたいか、残したいか、挑戦したいかなのでしょう。