イーロンマスクが先日、かなり意味深なことをTwitterでつぶやいて世界中が右往左往しました。

「当たり前のことを言うが、出生率が死亡者より低くなるようなら、何らかの変化をもたらさない限り日本は消滅するだろう。
これは世界にとって大きな損失となる。」

「the elusive beauty of imperfection 侘寂 」(不完全さのとらえどころのない美しさ 侘び寂び)

最初のことばは「日本は消滅するだろう」だけが独り歩きしたようですが、でも今の状況を見れば誰でもそう感じると思います。
ただそれを口に出すのが憚れるので、言えないだけで・・・。

そして侘びさびについてですが、イーロンマスクは日本人の文化のなかに存在している概念(なかなか言葉で説明することが難しいこと)が これから先、人間の中から消滅するよ‥ということを言っているのではないでしょうか。

わびさび・ってどういう意味かと聞かれたら、すぐに答えられる人は少ないのではないかと思います。

そもそも、わびさびとは未だに完全に翻訳できない言葉として日本人でも言語化するのが難しい概念であり、感覚的に捉えやすいものだと言われています。

いちばん簡単に説明するなら、わびは内面の豊かさで、さびは外見のさびれたものや枯れたものの中に見ることのできる、奥深い美しさや趣きのようなものでしょうか・・。

きらびやかだったり、合理的で機能的で、スマートな物から受ける気持ちとは全く違うものです。

これから先の時代、人間はAIの技術を借りて100万倍の情報処理能力を身に着けるようになれば、一体どちらが優秀になるのでしょう。

機械は疲れない。年も取らない。衰えない。

何時間働いても目の下にクマができたり、病気になったりしない。

皮膚はつやつや。シワもシミもくすみもでません。(真面目に羨ましい!)

年をとって、あちこち痛いとか、体のどこかが曲がっちゃうとか、忘れっぽくなるとか、歯が欠けちゃうとか、病気になりやすくなったりなんてしないんです。

人間は必ず年をとるようになっていて、体はいつかは老いて、どんなに元気な人でもいつかは当たり前の生活をするのも大変になる時期が来るのです。

そうしたら、人間はみんな機械(AI)に憧れるようになってしまうでしょう。

AI技術を体内に取り込むことで、人類の超えられなかった夢がかなう。
それは能力だったり、美しさだったり、心の弱さだったり全てに及ぶ。

そしていつかは、人間はずっとAIよりも下のもの(能力的にも美的にも)となり、AIこそが心の礎。
憧れのAI様のために働く機械のような感覚になっていってしまうのでしょう。

それに対して、それは違うよ、と言えるのは一体誰なのか・・

わび・さび・という概念を生まれた時からDNAに持っている日本の人しかいないのではないでしょうか。

満月は美しい。でも欠けていく月も、三日月も同じように美しい。

新緑は美しい。でも紅葉も、枯葉や落ち葉の景色もまた素晴らしく美しい。

完全も美しい。でも不完全だからこその美しさや愛おしさは、完全な美しさの比ではないほど素晴らしい。

人間の素晴らしさって、AIのようでないからこそ、素敵なのではないでしょうか。

いつも頑張るけど間違えてばかり。

うっかりしたり、ドジだったり、だらしなかったり、弱虫だったり、度胸がなかったり、どうしても計画通りにできなかったり、わかっちゃいるけどやめられないことがあったり・・

でもそんなふうだからこそ、AIみたいではないからこそ素敵なのではないでしょうか。

どんなにがんばっても、誰でもいつかはおじいちゃん、おばあちゃんになる。

合理的に割り切ることができず、人の痛みを自分のことの様に感じて涙を流す。

そんな人間の、一体どこがダメなんだ・・?と私は思うのです。

子供や愛する人のために命をかけるようなことが人間はできますが、AIはそのために死ぬことができるのでしょうか。

私はいくつになっても、きっと死ぬ前になっても、AIより人間を取るでしょう。

AIのアルゴリズムの中には、人間の『想い』や『祈り』という波動が入っていないように思うからです。

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