
大掃除をしていたら10年くらい前の本で「運の強い女になる」という薄いPHP文庫が刺繍糸の箱に紛れ込んでいました。
ぱらぱらとめくったらもちろんいいことは書いてあるのですが・・昔はこの考え方すら最先端だったんだ・・と驚きました。
今ならこれは大前提だし、小学生でも中学生でも理解できることなのではないかな・・と思いました。
そしてそのぐらい今の私たちが到達したいもの、望むものはレベルが高くなっているのだと思います。
スピリチュアルも昔はもっとふわふわしたイメージがあり、受け止めるほうもその気持ちよさを求めていた気がします。
でも今ではスピリチュアルは、科学や量子力学とも融合して色々な方向から考えていくほうが本質を掴みやすい気がします。
今日街に出たら30度近い気温があるのに、道行く人も電車に乗る人もマスクをつけていない人が一人も見当たりません。
半年前とは全然違う風景が日常になってしまいました。
コロナという病気はきっかけというか、最初のイントロダクションに過ぎず、あと2・3年後には今と全く違う世界が目の前に広がっているでしょう。
これからの未来、おこるのは産業革命だけじゃなく、人類も違うもの(生物?それともデーター?)に変化していくのでしょう。
私はこの10年間、手帳術を使って目標を立ててきたので数年分の手帳を保存してあります。
見返すと確かにこの方法で、私の夢は小さなものから大きなものまでひとつひとつかなっていきました。
ただ、今見返すと何かが今は全く変わってきている・・。
必要なのはこれじゃない気がする。
これをどう表現して良いか今まで言葉にできないもどかしさでいっぱいだったのですが、一言で言うなら今年から人類の大本の定義が変わってしまったんじゃないか?
もう違うゲームに勝手にバージョンが変わってしまっているんじゃないか?・・そんなふうに思うのです。
登場人物である私たちは以前のルールを使ってゲームを攻略しようとしていますが、今までのゲームとはバージョンが違うから、これまで努力して努力して、知恵と思考をこらして手に入れてきたすべての武器や戦略が、ほとんど使えない状態なんじゃないのかな・・と思うのです。
昭和に生まれた私の魂は何故平成を経て、令和の時代まで生きることを願って生まれてきたのか。
それは人類の転換期を体験し、その混乱の世の中で、昭和と平成時代の経験を全て一度捨てて(もちろん未来は今までの経験の蓄積が最強の武器のひとつになると思っていますが)骨太の新バージョンに生まれ変わることを経験したかったのでは・・??
私自身の個人的な命題は本当の愛を知るために最後の地球に生まれてきたと、何故か10年以上前から無意識に感じていました。
でも不安がないとか、わくわくでいっぱいだとか、私はそんな優れた人間ではありません。
物事には良い面と悪い面と両方ありますから、目をそらすことなく真実の状態を見れば選択するべきことの連続で、一瞬たりとももぼやっとしていられない。
命や人生の選択は自分にあって、誰かに任せては絶対にいけない。
二極化の本質はよく言われている貧富の差ではないと思うのです。
それは表面的なこと。
考えるか考えないか。調べるか調べないか。自分の意思を持つか持たないか。
自分の志を持つか持たないか。
私はそれこそがこの4か月で決定する、交わることのないパラレルワールドの結論だと片付けをしながら感じました。
そして生きたもの勝ちというか、今世の得難い経験をさせていただいていることを考えると、不安よりもこのスペシャルな時代を体験できること自体がプレミアムだと思うし、そう考えていくほうがいっそ楽しめる。
そんな気がするのです。