風の時代に幸せになるためには、たったひとつの指針があります。
それは「何者かになろうとしない。 ありのままの自分に還る」ということです。
一体どういうことだろう・・と思う方も多いのではないでしょうか。
地の時代と風の時代とを比べた時、本質のキーワードは
地の時代 物質・ 枠組みの中
風の時代 非物質・ 枠組みの外
となります。
何者かになりたい・という思いは他人や社会の価値観という枠の中に自ら入る生き方であり、「人から憧れられるようになりたい」とそれを基軸として生きるのは地の時代の生き方であるといいます。
私は最初、それのどこがいけないんだろう?と思いました。
人に憧れられるようになりたい・・というのが仮にスタート地点だったとして、そのために行動することができ、夢を叶えられたのならそれも良いのでは・・??とも思ったのです。
ただ、そこにはひとつの大きな罠がありました。
何者かになりたい自分。
しかしそれは、その何者にはふさわしくない自分の要素を嫌悪し、蓋をするようになっていってしまうのです。
知らないうちに自己否定感を強めていくということにつながるのです。
結果、自己分離や自己否定感、自己嫌悪が多発していき、自分を潜在的に心から肯定することができなくなってしまいます。
自分で自分のことを肯定できないとどうなるか・・?
そういう人ほど社会に認めてもらいたいという思いが強固になり、結果ますます何者かになりたいと渇望するようになっていきます。
この「何者かになりたい」という思いは他人や社会の価値観という枠の中に自ら入る生き方であり、結果として自己承認欲求が強くエゴが大きい生き方に向かいます。
ここでもまた疑問が湧いてしまうのですが、エゴはさておき承認欲求の何が悪いんだろう?人の高次の欲求なのでは?と思いませんか?
私はそう感じ、長い時間考えました。
承認欲求は必ず人と人の間に支配と従属を生み出すというのです。
人は承認欲求を軸に生きると他人から承認されることを渇望するようになる。
自分を承認してもらうために何をするか?というと、現代社会のような仕組みになるというのです。
それは
承認を得るために自分がつくった枠の中に人を閉じ込める・ということであり、また
承認を得るために他人がつくった枠の中に自ら入りこんで出ようとしない
ということなのです。
これでは支配と従属が連鎖する社会構造から抜け出せなくなってしまいます。
意味がわかりにくいでしょうか。
私なりにこれを現在の社会に当てはめて具体的に考えてみました。
例えばここに国際金融支配者が作った企業があるとします。
ここには株主がいて、会社の経営者がその下にいます。
配当金を出すことが優れた経営者ということですから、経営者は長期的な展望などよりも目先の利益を追求。
労働者への賃金をカットし、必要な設備投資もカットして配当金を出す。
これにより優れた経営者であると世間に認識させる。
自分ではない、何者かになることに必死になる。
この経営者は労働者に対して「これがグローバル時代の経営だ。順応せよ」と労働者に言い、箱に閉じ込める。
支配に従属している経営者としての自分を正当化するために箱を作る。そして承認欲求を満たす。
ここに働いている労働者達は会社に承認されるため、また生活の糧を得なくてはならないため、その箱から出られなくなる。
労働者は不満を抑圧してその中に従属する。
その労働者は自分の家族を抑圧し、枠の中に閉じ込める。
結局誰かが誰かを支配して従属させるという負の連鎖は延々と続いていくのです。
風の時代はこの連鎖をやめていかなければならない。
そのために、この「何者かになる」ということをやめる必要があるということなのです。
これが風の時代を幸せに生きる結論だということ、頭では理解できます。
でも何者かになるのをやめたら・・
それを目標にしてきたひとは、蓋をしていた自分に向き合うことになってしまい、とても苦しい思いをするのではないでしょうか・・
自分の中にあるすべての自分を理解し、認め、癒し、手放すということは、言葉で言うほど簡単なことではありません。
自己否定感はその人の過去・親・他人から受けているので、その原因から逃げず根本原因を探ることからはじまります。
自分が傷ついた出来事を癒すこと・・
ありのままの自分から逃げず、慈しむこと・・
自己否定感をもつことになった過去の自分を理解し、共感すること。
ありのままの自分の感覚をもとに自分にとって本当に大切なものを見つけ、自分軸を磨いていくことになっていくと思います。
そうして長い年月をかけて癒していきながら自分だけの価値観を掴むと、魂の目的、今世で達成したい生き方が見えてくるように思います。
結果的にありのままの自分に還るほうが何者かになる確率が高いのかもしれませんね。
ありのままの自分で生きるということは、自分も周りもありのままで生きていて、誰もが幸せになれる社会を意味しています。
風の時代に幸せに生きるためにはテクノ的な科学の発達についていけるか・・等ということではなく、実はこの部分こそが最重要でまた最大の関門なのではないかと思いました。