母の亡きあと、私は色々なことを考えました。
何年間も考え続けていて、ある日ふと思ったのです。
人はどうしてあまり問わないのだろうと・・。
色んなことがあっても不運だとか残念だと思うばかりで、どうしてそうなったのか、そうならないためにはどうしたら良かったのか・・?ということまでは深く考えないまま、日々の生活の慌ただしさに追われて生きていってしまうのです。
母のケースでいえば健康に無頓着だったのではなく、人一倍気にしていました。
不安を直感していたからこそ、癌保険に何年も前から入っていたのです。
そこまで無意識に気がついていたのなら、何か違うアクションを起こせなかったのだろうか?
引き寄せの法則ではそれが悪いことであろうと、不安であろうと、意識したものが拡大して現実に現れるといわれています。
母の場合もそうだったのではないだろうか?
何となく大病をする予感があったのなら、それはどうしてそう思うのか?
病気にならないために自分でできることはないか?
食べ物は?運動は?代謝をあげる方法は?
血を汚さないために便秘が良くないのであれば、それを改善する方法は?
そういう問いを立てていればそこに閃きが入り、本を読んだり良い情報が入っていき、行動も変わってきたのではないだろうか?
勿論それでも病いになってしまったかもしれませんし、そうすれば絶対に避けられたのか?と言えば確実にそうとは言いきれません。
でも私は、人生の質というのは問いの質なのではないか・・?とその頃から思うようになりました。
人生がうまくいかない人はいつでも自分が窮屈になるような問いばかり立てている。
人生が上手くいく人はいつでも、自分の可能性がひろがるような問いを立てている。
母は問いを立てただろうか?
教師の仕事に忙しく、夜遅くまで調べものや資料を作っていて、朝は6時半には家を出て・・
一番大切な自分の体の健康は一番最後になっていたんだなぁ・・と思うのです。
母の問いは「もしも病期になった時、困らないようにするにはどうしたら良い?」
答えは「保険に入ると安心」
ということだったのでしょう。
例えば、ある人が上司とうまくいかなかったとします。
それで「この上司とうまくやっていくにはどうしたらいいか?」という問いを立てたとします。
そうしたら、「上司とうまくつきあう方法」のような処世術について書いてある本や、話がひきよせられてくるでしょう。
そして一年後に得られるものって、「その上司とうまくやっていく処世術」だけです。
だって、それだけしか問いをたてていないから。宇宙に聴いていないからです。
でももしその人が「もっと自分が幸せに仕事をするにはどうしたら良いのだろう?」と考えて問いを立てていたらどうでしょう。
一年後には「自分が幸せに仕事をするには?」への回答が得ることができるはずです。
もしかしたら職種そのものも、働き方も、自分の考え方さえも、今とは違う可能性もあります。
そんなふうに人生はいつでも「自分自身がどんな問いを立てているか?」によって決まるのだと思うのです。
私はそれからなるべく自分の可能性がひろがるような問いを、いつも立てて生きていこうと思うようになりました。
引き寄せの法則とは、まずは問うべき価値があるものかを精査する・問いが違っていないかを徹底的に考える。
そして問う価値のあることだと頭が整理されたら、その答えが欲しいと宇宙に投げる。
降りてきたひらめきをひとつずつ行動に移す。
その時にこうなっていたいという状況の、未来の自分の心、ハッピーな気持ちの周波数にぴしっと合わせていること。
そう考えています。